⇒続き

子供の頃から、手先の器用さに自信を持っていた私は、前職の看護師時代も注射が上手な方でした。(血管は顔といっしょで一人一人、形状が違う為、血管に刺すのが難しい方も多い)

鍼(はり)を刺したり、マッサージなんか看護師の技術に比べ簡単だろうと思っていました。ところが、そんなのは、甘い考えだったという事を思い知らされるのでした。

看護学校を首席で卒業した私は、はりきゅうの学校に入っても学力にも自信を持っていました。事実、常にトップクラスを維持できました。

しかし、肝心の技術はさっぱりダメでした。学校の技術テストで赤点を取り、補習を受けることも、たびたびありました。

さらに在学中、出張専門マッサージにアルバイトに行ったのですが、そこは指名制で新米の私には当然、仕事はまわってきませんでした。ある日、先輩の予約が重なったので私に代わりに行くように言われ、あるお宅に行きました。マッサージを始めて10分位たった時、突然「もーええ、金払うから違うやつよこせ、このへたくそ、帰れ!」とどなられ、足蹴にされました・・・・

この事でかなり落ち込みましたが、先輩や友人に励まされ、バイトは続けました。まだ初心者なんでヘタで当たり前と考え、暇な時間は先輩相手に練習にはげみました。そのうち指名も増え、自分自身でも技術が上達していくのが良く分かりました。でもシビアなお客さんこそ最高の師匠でした。

はりきゅう治療の技術の習得はマッサージと比べものにならないくらい困難なものでした。とにかく、本に書いてある通りツボに針を刺しても全く効かない、治らないのには困惑しました。学校はというと技術を教えるところではなく、国家試験を合格させる事のみだし・・・。腰痛の治療をしても「全然、痛みがとれない」と患者さんに言われるしで、正直、自分にはセンスがないのか無理なのか?と途方にくれていました。

そんな袋小路に追い詰められた思考から救われたのは、藤本和風先生との出会いでした。この先生に教われば、道が開ける。そう確信したのですが、数ヶ月後、先生は体調をくずされ、またしても路頭に迷う事になったのです。

不安を抱えたまま学校を卒業して、整形外科クリニックに就職したのですが、治療の腕は頭打ちで、「やっぱりいい先生の元で修行しないと自分の未来は無いな~」と考える毎日でした。そんな時、堺東で名医と名高い、山本哲斎先生が内弟子を募集していると耳にしました。すぐにお会いして、お願いし内弟子として採用して頂きました。勤め先のクリニックを即、退職して内弟子として修行にはげみました。(正直、収入は半分以下になり、生活は苦しくなりましたが・・)

内弟子として2年間すごしましたが、内容の濃い充実した日々でした。先生からは治療技術はもちろん、はり医者としての立ち振る舞い、心持ちなど学びました。この2年間がなければ今の自分はなっかたでしょう。本当に先生には感謝しています。また、この修行の間、堅物通し(注1)、浮き物通し(注2)等の難しいといわれる技術も挑戦、会得できました。

今の私の手技、施術はこのような経験の積み重ねから確立したものです。治療効果もかなりの手ごたえを持っています。しかし、さらに研鑽を重ね、もっと患者さんに喜んでもらう治療を施していくつもりです。

注1) 堅物通し=かまぼこ板等の堅い木材に針を刺し通す練習法。針が曲がったり折れたりするので、熟練の術が必要。

注2) 浮き物通し=洗面器に水をはり、なすびを浮かべる、水をいっぱいに足しなすびに針を刺し入れていく、その際、水があふれないかつ波紋を立てないように刺入していく、きわめて高度な刺入技術が必要。